CONCEPT
変化する時代だからこそ、変わらない価値を。
歳月に育まれてきた、凜とした風格を。
都心にありながら、かけがえのない静穏を宿した、 ここ葵区西草深に贈る逸品のレジデンス。
次代に受け継ぎたい「本懐」をここに。
THE HISTORY
由緒を語る。
歴史は、書物の中だけにあるのではありません。
それは風景や文化となって受け継がれ、 かけがえのない豊かさを私たちにくれるのです。
駿府名勝一覧圖(静岡県立中央図書館所蔵)
西草深。駿府城外堀のほとりに、
静かに育まれた歴史。
京の都を範とした今川氏による町づくりは徳川家康公に受け継がれ、駿府の街が形づくられました。その中心となる駿府城と浅間神社の間で武家屋敷町として育まれたのがここ西草深。
江戸時代には草深竹屋小路、草深同心屋敷などとして駿府城御庭番衆と呼ばれた与力、同心が居を構えました。徳川家康公ほか4代の将軍の侍講となった儒者、林羅山が住んだのも計画地の界隈。駿府城外堀のほとりで静かに由緒を育んできたこの街が、新しい生活の舞台です。
すべて駿府城公園(徒歩7分/約500m)
家康公も愛した駿府の中心を
散歩道にする日常。
ここ静岡の地をこよなく愛したといわれる徳川家康公は、今川氏を破ったのち1585年から自らの居城として駿府城を再興。江戸幕府を開いたあとにも駿府に戻り、本丸、天守を築き、終生この城を育て続けました。その歴史を今に伝え、美しい風景として守りぬくのが駿府城公園。家康公が慈しんだであろう路を歩き、春には桜が咲き誇る濠を愛で、秋には深紅に染まる木々に心を休める。ここ静岡の中心で潤いに浸る特別な時間がそこにあります。
静穏を慈しむ。
静岡の都心で穏やかな暮らしを求めるとき、
数々の名士たちの足跡が、それを物語ります。
各界の偉人が求めた、
静穏を継承する街。
江戸幕府が終わりを告げ明治時代になると、駿府藩は静岡藩に改名し旧駿府城内に静岡学問所を設置。江戸の学問所などから旧幕府の学者たちも駿府に移住し、日本国内で最高水準とされた教育が展開されました。その著名な学者たちが多く住んだのが、西草深でした。ほかにも当時の藩主であった徳川家達や、最後の将軍・徳川慶喜公、さらには文学者、詩人、芸術家、政治家など数多くの名士が、静穏の地を求めて暮らしの系譜をここに重ねてきました。
徳川慶喜公屋敷跡は慶喜公が東京に去った後、西草深の屋敷は葵ホテルとなり、その後焼失。現在、「徳川慶喜公屋敷跡」跡地として石柱が残っています。
最後の将軍、
徳川慶喜も選んだ西草深。
江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜公は、大政奉還ののち1868年に駿府に入り、常磐町の宝台院で約1年の謹慎のあと、現在「浮月楼」がある紺屋町に移ります。しかし1886年(明治19年)頃に東海道鉄道の工事が始まるとその騒音や煤煙を嫌い、1888年3月に静かな屋敷地であったここ西草深に居を構えました。屋敷はおよそ1万坪におよび、東京に戻る1897年までの約10年間を、写真や油絵など多彩な趣味とともに暮らしたとされています。
THE INTELLECT
知と文化が薫る。
拓かれた学問所の系譜は、静かに継承され、
学舎の存在が、街に文化の薫りを添えています。
静岡に学問と文化の礎を築いた
文教の地、西草深。
徳川慶喜公を慕って一時は西草深にも
エドワード・ウォーレン・クラークを 静岡学問所に招き、新しい日本を拓くための 外国教育の礎を築きます。
クラークの蒔いた種はやがて実を結び、 明治20年には 静岡英和女学院の前身となる 「静岡女学校」が西草深に創立。
さらに明治36年には 静岡雙葉学園の前身である 「仏英女学校」も隣り合うように誕生し、
ここから新たな学舎の文化が 西草深の地に育まれていったのです。
静岡雙葉
中学校・高等学校(徒歩5分/約400m)
静岡市立葵小学校
(徒歩7分/約540m)
静岡聖母幼稚園
(徒歩5分/約380m)
静岡近代美術館
(徒歩3分/約180m)
いまもこの街に息づく、
美意識と文化の薫り。
昭和に入り、書家の沖六鵬、
活動するなど幾多の文化人も 居を構えてきた西草深。
静岡英和女学院礼拝堂などが 「しずおか市民景観大賞」で表彰されるなど 街並みに対する意識、
そして受け継がれた邸宅街の区割りが 息づいた景観も評価されています。
また近年では静岡近代美術館が 新たに芸術の息吹を添え、文化の薫りが
いまも街を優しく包み込んでいます。
静岡学問所
現静岡地方法務合同庁舎付近に、1868(明治元)年「駿府学問所(静岡学問所)」が駿府藩により創設。以降、1872年まで国内最高水準の教育が展開され、日本の近代教育の先駆けとなりました。
※掲載の現地周辺航空写真は2022年10月に撮影したものに、CG処理を施しております。また、現地の位置を表現した光は、建物の規模や高さを示すものではありません。
※出典:渋沢栄一 著『徳川慶喜公伝』四,竜門社,1918. 国立国会図書館デジタルコレクション
※距離表示は地図上の概測で分数は徒歩80m/分(端数切り上げ)で算出しています。また、信号待ち等の時間は含まれておりません。予めご了承ください。